えんシカク

 目の前で拷問が行われているというわけでもないのに、そこは確かに地獄だった。

 青空の代わりに見えるのは、重たく赤暗い空。
 現世でも朝夕には空が赤らむが、そういった景色を見た時の、深呼吸をしたくなるような爽やかさ、物思いに耽りたくなるような懐かしさはどこにもない。ただ、ずっしりと重たいだけ。
 遠くに見える刺々しいシルエットの山々はどれも黒く、暗い。日が無いからではない。山自体が燃えているせいで、影になって見えるのだ。
 大地、木々、山々、空、雲。
 言葉だけを並べれば普通なのに、全てが反転してしまったかのような景色。

「いかがですか、地獄は」

 不安しか感じないが、まさか、それを口にするわけにはいかないだろう。礼儀をわきまえてはおきたい。一方、あまりに分かりやすいお世辞も興ざめだが――そもそも、場所が地獄で、相手が鬼で、自分が亡者の場合の礼儀とは、一体何を指すのだろう。

「……ほの暗い、ですね?」

 事実ではあり、貶してもいないだけの無難な答えを絞り出したところ、前を見つめていた鬼灯が、顔を佐為に向けた。口にしては何も言わなかったが、お前つまんねぇ奴だなって、目と短い眉の下がり具合が言っている。

「この状況で面白いこと言える人は、面白いというよりは変な人ですからね!?」
「変だから面白んじゃないですか。そういえば、ご存知ですか?」
「……何をです」
「どんなにつまらない人間でも、怯えているときは面白い」

 抵抗する暇もなかった。
 ぐいっと襟首を掴まれて、半分引きずられるようにしながら連行された佐為は現在、血の池の畔で四つん這いになり、出す物もないのに絶え間なく襲い来る吐き気に揺られている。



04:○◇



 臭いだ。とにかく臭いが酷い。
 刑場に入る前、閻魔殿の時点で既に金臭くはあったのだが、ここはその比ではない。なにしろ、血の池というだけあって量もある上、その血が煮えているのだ。
 湯気にのって、温かい血の臭いが大気中に……。

「うおぇっ……」

 あまりにも空気中の血液成分が濃くて、ただ息をしているだけでも、異物が侵入してきたと身体が反応するのか、嘔気が止まらない。
 人が何人も溺れられるような規模の池を満たす血液が、全て人の血、それも、数え切れないほどの亡者たちが様々な呵責で流した血を濾して再利用しているのだという鬼灯に拠るご丁寧な講釈も、全身を駆け回る拒否感に一役買っていた。

(キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ……)

 目の前には叫び溺れる亡者たち。彼らはなんとか空気を吸おうとしては、空気の代わりに池の血で胃と肺を満たし、力尽きて沈んでいく。たかが岸で吐いているだけの佐為が口にしていい弱音ではないが、ともすると、胃液と一緒にげぼっと出てしまいそうだ。

「うぇっ……」
「テラスなんてなくても、休憩所があるでしょう」
「血の池を見ながらの飲血を楽しみたいのだそうで」
「吸血鬼しか喜びませんからねぇ。ベンチで良ければ、見える場所に置いてもらっても構わないですよ」
「うっぷ……うぉぇっ、げほっ」

 早く、早く終わってはくれないか。
 ぐらぐらと揺れる頭で鬼灯と獄卒のやり取りに念じていると、手元にほど近い場所で、地面に何か液体が叩きつけられたような、音が聞こえた。

「ぅ……えっ」

 血しぶきが、佐為のいるほうに向かって、地面に赤く線を描いている。
 涙と涎を垂らしながら蹲る佐為を面白がってか妬んでか、亡者がわざと池の血をかけようとしたのだ。ニヤついている顔が、血しぶきの中で藻掻きながらももう一度、意図的に大きく腕を動かす。

「……っ」

 呆気にとられていた佐為は動けない。
 頬に温い液体がかかった。
 どろりとしたものが頬を伝う、その感触。その生暖かさ。

「……っ!!」

 佐為は飛び上がった。
 先程までグロッキーだったとは思えない素早い動きだった。半狂乱で、己に付着した血から逃げ惑う。

「きゃー! きゃー!」

 自分の手でも着物でも血に触れたくなかった彼は、飛び跳ねるようにしながら自分の胸元ほども高さのある岩で(この近辺にはそういう岩場がごろごろとしていた)血を拭おうと近づいて――人の顔ほどもある大きさのガマガエルと目が合った。

「何、見てんだよ」
「きっ……」

 嗄れた声でしゃべったのは、蛙ではない。その蛙の背中にある、人間の顔のようにも見えるイボだか模様だかだ。目を見開き震える佐為に本体がゲェコ、と口を開ける。
 つるっとした口内のアップ。何よりも蛙が嫌いな佐為は、ついに泡を吹いて失神した。

 気を失ったからと言って、今日のところはここまでにしてやろうなどとは考えないのが鬼灯である。
 その後も真っ暗で熱い場所へ連れて行かれては亡者と間違われて金棒で足を折られたり、動物たちが亡者を啄んだり齧ったりしている場所へ連れて行かれては亡者と間違われて腕をぼりぼり噛まれたり、木々が全部剣でできている場所へ連れて行かれては、知らずに葉に手を置いて第ニ関節から先がなくなってしまったり。

「葉は刃(やいば)、幹は締め上げ、花は毒」
「なんでこういうときだけ反応するんですっ!? 亡者と間違われて呵責を受けても何も言ってくれないくせに! というか、毒!?」
「ほっとけばすぐに治りますよ。さ、次です」
「もうやだ、もうやだ、今度は何が出てくるんですかぁっ……」

 鼠が出てきた。
 妙に波打って見える地面が、実は鼠の集合体だった。

「いゃーっ!!! あーっ、あーっ、あーっ!」

 ここに来るまでに恐ろしい生き物は沢山いたが、背中に人面瘡のあるガマガエルをぶっちぎって、この地獄が一番イヤだ。だって、ガマガエルは少なくとも一匹だった。ここでは地面が生き物で埋め尽くされている、ぞわぞわざわざわ動いてるぅ!

「あーっ、あーっ、あーっ、あーっ!」
「……おや」
「あーっ!?」

 気がついたら、鬼灯の背中にしがみついていた。
 驚いたように振り返った鬼灯の、なるほど、という顔よ。違う、違う、誤解ですぅ、という叫びは聞き入れてもらえない。まさに前門の鬼灯、後門の鼠絨毯である。降りるべきか、降りないべきか、その問題を解決する前に力強い腕に捕まり、どちらからも逃げられなくなるわけだが。

「あっ、あっ、あっ、あっ……」

 結局視察の間中、鬼灯の持つ金棒に引っ掛けられた状態で鼠の絨毯の上をずっと上下にぶらぶらさせられた。屍のような状態で地上へと戻ることになったのは、言うまでもない。
 鬼灯一人で飲み物を飲んでいるが、それに文句を言う元気もなく、ぐったりと休憩所の机に上半身投げ出す。この数時間で頬は痩け、目の下にはくっきりとした隈ができていた。肌や髪も、まるで毛羽立っているかのよう。来る先々で得た負傷はもう治っていたものの、精神的なダメージについてはその限りではないらしく、先程から震えと鳥肌が止まらない。

「まぁまぁ、元気だしてください。次の地獄は本当にオススメですよ。佐為さんは大喜びするかも」
「いご」
「まさか」
「……怖い声が聞こえず、恐ろしいものが見えず、身の危険がない」
「ここ、地獄ですよ。ではヒント。次の地獄は異異転処。嘘で人を陥れ、仕事を邪魔した者が落ちます」
「そうですかぁ……」

 囲碁じゃないのならどうでもいい。暴力から逃れられないのなら、希望もない。
 興味をそそられず聞き流したが、ふと、残るものがあることに気がついて顔をあげた。

「嘘で、人を……?」
「そうです。嘘で貴方を陥れ、仕事の邪魔をした者。覚えがあるでしょう?」

 小さく頷く。
 その者の名は菅原顕忠。大君の御前での対局にていかさまをし、それを見咎めた佐為に、お前こそがいかさまをしたのだろうと、その罪を被せた男。

 愛する囲碁を冒涜するような行い。
 いかさまをした張本人のくせに佐為がいかさまをしたのだと責め立てる、思いもよらぬ厚顔さ。
 今まで向けられたことなどなかった、周りからの疑いの眼差し。

 どちらの言い分が正しいかの決着は囲碁の勝敗にて決められることになったが、怒りに支配され、疑念に絡め取られた佐為に、まともな囲碁など打てるはずもない。勝負に敗れ、身に覚えのない汚名とともに都を追い出された佐為には最早、生きる術も、意味も、残されてはいなかった。
 男の顔はもうぼんやりとしか思いだせないが、あの日の冷たい水。水の冷たさを上回る孤独と絶望。水面を流れる紅葉の美しさは、今でもはっきりと覚えている。
 そうか、あの男が、地獄に……。

「いかがです、呵責に参加したい気持ちになってきたのでは?」
「……なりませんよ」

 再度ぱたりと倒れ、佐為は机を枕にした。
 本当に疲れ切っている。今すぐにでも眠ってしまいたい。

「え~」
「え~、じゃありません~」
「だって、精神的にも肉体的にも思う存分いじめていじめて、いじめつくしても問題ないんですよ? むしろ、褒められますし、給与もあがるんですよ?」

 佐為はげんなりとしたが、心底不思議そうな表情を見る限り、どうやら嫌味で言っているわけではないようだ。やはり鬼、呵責でストレス発散などと言うだけあって、人とは感性が違うということか。
 他の鬼達が聞けば全員で待ったをかけるであろう納得をして、佐為はため息ついた。

「それとも、怒っていないんですか?」
「……よく、わからないです。彼のせいで失ったものは大きいですが、そのかわり、得たものも沢山ありましたし……。いかさまは腹が立ちますけど、でも、虎次郎がね。それは卑怯だとか狡猾という類ではなくて、人の弱さなんだって」

 勝ちたい。
 勝てないかもしれない。
 負けたくない。

 誰の心にもあるその想いが、選択を間違わせる時がある。
 癖になっているのならきちんと指摘すべきだが、ただ魔が差しただけならば、二人きりのときにこっそりと教えてあげるのも指導碁のうちなのだと。それが子供であるならば尚更だと、正しく優しい人は言った。

 プロ試験の時のヒカルを思い出す。相手は伊角で、彼の場合は魔が差したということでもなく、ただ自然と身体が動いてしまったという風だった。それでも、反則負けは反則負けだ。本来ならば自己申告をしなければならない所、黙りこくっている伊角の様子に、反則をしたか半信半疑のヒカルは、そのまま打ち続けるよりも、反則負けの可能性にしがみつこうとしたがった。

 勝ちたい。
 勝てないかもしれない。
 負けたくない。

 指摘しようか煩悶している間、自分が反則したわけでもないのにヒカルの顔色は真っ青で、犯罪に手を染めようとしているかのようだった。それが囲碁を愛することと真逆の行為であることを、彼はきっと心の奥底で理解していたのだろう。

 佐為はといえば、別に、反則勝ちを狙って相手の卑怯を知らしめようとしたわけではなかった。ただ純粋に、ある意味では何も考えず、するべきでないことは、するべきではないと信じていただけだ。
 人としてはどうなのだろうかと今では思わないでもないが、碁打ちとして間違っているわけでもない。少なくとも、その時点で佐為に弱さはなかった。けれど、その後。
 怒声を浴びせられ、濡れ衣を着せられたあとは、どうだろう。

 動揺する見届人達のざわめき、その疑いを含んだ視線の中、囲碁以外のことばかりを考えていた。寄る辺のない悔しさを。信じてもらえない辛さを。それが偶然に起きたわけではなく、一人の悪意によって起きたと知っているがゆえの恨みを、囲碁ができなくなる恐怖を。
 目前には、果てない宇宙が広がっていたのに。

 よく努力した自分を信じ、囲碁を愛する。その両方を満たしたうえで、真っ直ぐに臨む。碁を打つにあたって大切なのはそれだけで、けれど、それだけのことが、なんと難しいことか。
 弱さが囲碁を愛する心を損なわせるのだというのなら、きっと佐為だって弱かった。彼の者が勝つに相応しいとは言わないが、佐為もまた、勝つに相応しい存在ではなかったのだろう。

「ですから、一番何が悔しいか、突き詰めて考えるならば。結局は、心を乱した弱い自分なのです。そしてね、心の弱さって、自分で律することができるんですよ。自分の弱さを知り、正しい道を知ることができれば」

 虎次郎が諭した少年が、いかさまをするところを二度みたことはなかった。
 自分の弱さと向かい合ったヒカルは、芯のある強さを手に入れた。

「一言言ってやりたい気持ちさえないんですか?」
「そうですねぇ……」

 佐為は足を止め、上空を見上げた。
 爽やかさなどどこにもない、地獄の空。千年の時を経て、彼と今、同じ重たい空の下にいるのだと思うと感慨深い。やつれた頬に、ほんのりと笑みが浮かんだ。

「叶うのならば、もう一度、囲碁を」

 今度は、インチキは無しで。
 インチキをしてきたとしても、実力で勝つ心づもりだが。

「へぇ。キャラだけで許される要因って、そういう緩さなんですかねぇ――何を『何の話だろう』みたいな顔をしているんです? あなたのことですよ」
「えぇっ? 心外ですッ」

 ヒカルや倉田がたまに言われていた言葉だ。状況から判断するに、要は、失礼だけど愛嬌があって、許せてしまう者のことだろう。佐為は、礼儀は大事にしている。失礼ではないはずだ。
 愛嬌はあるかもしれないけれど。

「自覚さえないんですか。他人の人生を奪っておいて」

 鬼灯の物言いは、これまでと変わらず低体温で、さらりとしたものだった。それでも小さな棘を感じたのは、佐為自身に罪の意識があるからだろう。

「あぁ、一応自覚はあったみたいですね」

 ベコベコと手の中の缶を弄っている鬼灯を縋るように見つめ――そっと俯く。
 佐為にとってそれはまだ、整理しきれていない罪だった。



 幸福な人間というものは、往々にして鈍感なものだ。
 貴族の身に生まれ、愛した囲碁に愛され、毎日囲碁を打って暮らす日々を送る佐為もまた、そうだった。少し前に退位したばかりの先の大君にも気に入られ、見目麗しく、才能もあり、多くの者から好かれ、何かを足りないと思ったこともない。
 持たない者の気持ち、奪われる者の気持ちを考えるには、あまりに想像力がなく、無邪気で、満ち足りていた。
 人生の終わりに裏切りを知り、痛みを知り、死を知り――永い孤独を知って囲碁に餓えても、佐為は佐為のままだった。死して尚、囲碁の神に求められているのだと、使命感と満足を感じていたから。自分の行いに、疑問を感じていなかったから。
 珠のような幸福に罅が生じるのは、虎次郎と別れ、ヒカルに出会ってからのこと。

「私は、幽霊です。勝ったからといって、私が周囲から賞賛されるわけではない。名声よりも囲碁を打てる事実が大事でしたから、そんなことは気にしていなかったはずなのですが――自分の打った碁を自分の碁として認識してもらえないとはっきりと口にされたとき。ヒカルの眩しさが、相対的に私を影にしていると感じた時。自分の存在のあやふやさを、初めて突きつけられた」

 最初は小さかった罅がやがて大きな亀裂となり、ついには粉々に割ってしまうまで、時間はさほどかからなかった。
 神の一手を極めるのは自分だという信念が、思い違いであったこと。神の一手を極めるのは佐為ではない他の誰かで、佐為はただ、ヒカルに同じ道を歩ませ、先を示すための道標として呼ばれただけだったということを思い知らされて。

「……嫉妬って、あんなに苦しいものなんですね。あの頃は痛みなど感じないはずだったのに、確かに心が痛かった。苦しかった。悔しくて。ヒカルは力をつけたけれど、これからも強くなるに違いないけど、まだ私のほうが力量はずっと上なのに、私だってまだ上がれるのに、神はもう私を望んでいない。望まれているのはヒカル……」

 生まれて初めて、持たざるものになった。
 欲するものになった。
 光の後ろにできる、影になった。

 初めて知った不安。苦しみ。嫉妬。それらに折り合いをつけなければならない、挫折感。それらに一通り苦しみ、ヒカルにも迷惑をかけ、そしてふと、自分がこれまで踏みつけにしてきた人や心に気がついた。
 虎次郎。いつも穏やかで、佐為の囲碁が好きだと言ってくれていた彼の、不安、苦しみ、嫉妬。それらをひた隠しにし、佐為を癒やしてくれていたその強さと孤独に、漸く――今更。

「謝りたいとでも?」
「……いいえ」
「まぁ、確かに私だったら絶対に許しませんけど。でも、日量さんは、そんなことないんじゃないですか?」

 温度の低い視線を、しばし見つめる。
 そうか、この方は、虎次郎をそう呼ぶのか。ほっと息を吐いた口元には、儚げな笑みが浮かんでいた。

「……そうですけど、でも、そういうことではないんです。虎次郎は別に、言いたいことが言えなくて、私に身体を貸し与えていたわけじゃない。悔しくても、寄る辺なくても、私に身体と時間を与えたのは神の一手のため。囲碁の発展のためでしょう」

 謝罪は、侮辱。
 自分自身の罪の重さに打ちひしがれて、あの優しく強い人の想いまでをも曲げるようなことはできない。佐為に許されるのは、鈍感で傲慢な自分を忘れないことだけ。

 長い話を語り終え、断罪を待つように頭を垂れると、黙って聞いていた鬼灯が立ち上がり、めっきめきに潰れた缶をゴミ箱に投げ入れた。
 渇いた音が、人気のない休憩所に響く。

「先程も言いましたが、あなたのしたことは他人の人生の乗っ取りです。正直な所、こちらではあなたを裁くために地獄法を改定することまで考えていました。今の法に当てはまらないからと言って、貴方のしたことが許されるわけじゃない」
「はい……」
「けれど、当の被害者がその必要はないと」

 佐為は涙で潤んだ瞳を見開いた。

「虎次郎……」
「どう考えてもそうすべきだと思ったのだと、言っていましたよ。貴方の碁を絶賛していました」
「虎、次郎……!」

 今度こそ、ぶわりと涙が溢れる。
 長らく会っていない人の、変わらない性質が嬉しい。優しさが嬉しい。赦しが嬉しい。わかってくれている、気持ちが嬉しい。
 ごめんねとは、口が裂けても言えないけれど。その分、ありがとうを沢山言いたい。彼のために、今度は佐為が、何かをしてやりたい。

「……優しくて、強いんです。ほんとうに。沢山のことを教えられました」
「そうですね、あれだけ天国に相応しい人も珍しい。まぁ、その彼でさえ、あなたがキャラだけで周りから許してもらってるタイプだと言われた時には『あ、なるほど』って顔してましたけどね」
「虎次郎ー!?」
「順当でしょう」

 静かに言い置いて、そのまま歩きだす。先程まではどんなに頼んでも首根っこを捕まえられたままだったのに、佐為を置いて。
 無理やり連れて行かれるのも恐怖だが、置いていかれるのはもっと困る。小走りで追いかけた先は、等活地獄の出口だった。

「鬼灯さん、いーてんしょ、は?」
「いえ、今日はもう、帰ります」
「え……でも」
「異異転処で憎しみに任せて、鬼も驚くような斬新で苛烈な呵責をしてくれればいいなぁと思っていたんですけど、どうやら無理なようですし」
「最初から呵責は無理だって言ってるじゃないですか!? まぁ、呵責のお仕事が難しいと分かっていただけたなら良かったですけど……」
「いえ、異異転処も就職とまでは思ってないですよ」
「えっ」
「あなたみたいな軟弱者、刑場での肉体労働に耐えられるはずがないでしょう。せいぜい闇が爆発して、斬新で苛烈な呵責のアイデアが迸れば、というだけです。本命は記録課。内勤ですよ」
「きろくか……ないき、ん……」
「裁判で使用する亡者の生前の情報をわかりやすく正しく記入し、管理するお仕事です。囲碁で鍛えた記憶力の良さ、正確性、字の美しさ、深く長く続く集中力、細やかな気遣いが必要とされるので、佐為さんにはぴったりでしょう」
「ちょ、ちょっと待ってください。ではどうして、そもそも刑場巡りを……?」
「それは――」

 震える声で問うと、鬼灯がすっと振り返る。切れ長の目が、佐為をひたりと見つめた。
 たなびく着物の袖。

「単なる、嫌がらせです」

 意味を理解するのに、数秒かかった。その間に、鬼灯はスタスタと先へ行っている。
 生きた鼠でできた絨毯、焼けるような熱、落ちた自分の指、迸る血、化物蛙、呵責、あちこちに落ちている亡者の肉片、悲鳴、怒号、暗闇。

「~~~い、嫌がらせで済まないですよぉッ!?」

 小さくなる背中を睨みつけるその表情は、怒りを吐き出した後、やがて苦笑に変わる。
 嫌がらせだというのなら、それはきっと、虎次郎のためなのだろう。彼は虎次郎を法名で呼んだ。大方、自力で得た名前ではないから本因坊秀策とは呼ばないでほしいと言われたか。いずれにせよ、それは佐為には聞けなかった虎次郎の弱音であり、本音で。

「……素直ではない方です」

 鬼だけれど。亡者を呵責することが仕事であり趣味でもある人だけれど。人の心が分からぬわけでもない。むしろ、鈍感な佐為よりはよっぽど、人の機微に通じているのかも。
 少しだけ微笑ましくも思ったのだが――

「あぁ、あんたがあの、獄卒にしようとしたら、血の池見て吐いて蛙で泣いて虫みて叫んで亡者の死体みて卒倒したっていう……」
「見た目通りナヨいんだなぁ」
「鬼灯様におんぶしてもらったって、本当?」
「紙の束みて卒倒したりしないどくれよ」

――早とちりであったかもしれません。
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webclap

 恐慌状態の成人男子に背後から飛びつかれて、こゆるぎもしない鬼灯様。

 ☆圧倒的安定感――!

・葉は刃、幹は締め上げ、花は毒:地獄カルタ、ほしいです。
・「あっ、あっ、あっ、あっ」:水見式という方法が あっ 最も簡単で あっあっ 一般的なあっ



執筆2017/10/13