えんシカク




 しゃっきん、借金か、と頷きつつも、納得はいかない。
 生前は、金勘定から遠い世界で囲碁だけを打って生きていたし、死後はそれこそ、お金とは無縁である。借金など、つくりようもない。

「人違い、ではないでしょうか。私には借金の覚えなどありません。あなたのことも存じ上げ――えっと、どちらさまでしょう」

 なんだか当然のように会話をしていたが、よく考えたら知らない人だ。
 そういえば、ここも何処なんだろう。綺麗な場所ではあるけれど……。

 猫のように襟首を掴まれている状態にすっかり慣れてしまった佐為が、体重を半ば預けるようにして辺りを見渡していたところ、急に首を締め付ける力が消えた。

「きゃあっ!」

 当然のことながら大きく前につんのめる佐為の背後で、ポン、と手を叩く音。

「そういえば自己紹介もまだでした」
「もう、なにを…!」
「あまり初めてという気がしませんが、初めまして。私、地獄は閻魔大王の第一補佐官、鬼灯と申します。見ての通り、鬼です」

 急に襟首を開放されたせいでつんのめったことも、文句を言わせてもらえなかったことも忘れ、佐為は鬼灯をぽかんと見上げた。
 鬼です?



02:○◇



 鬼。
 平安の頃にはよく噂を聞いた。
 夜や山の中、朽ちた寺などの陰に潜んでおり、女を攫ったり、人を喰らったりするのだとか。姿については様々な例があるのだが、例えば有名な大江山の酒呑童子であれば、人の数倍もあるような身の丈で、髪は真っ赤、髭も髪も眉毛もつながっており、目は黄色く濁ってギョロギョロしている――

「……え~?」

 数拍後、漏れた声は半分笑っていた。
 佐為よりは背が高いし体格も良いものの、鬼という程ではないし、毛むくじゃらどころか髭の剃り跡すら目立たぬ、さらりとした顔つきをしている。目つきは確かに悪いが、目付きの悪さだけで鬼になってしまうのなら、棋士達だって半分くらいは鬼だろう。
 大体、丁寧語でしゃべる鬼なんて。

「まぁ、お伽話に出てくるようなステレオタイプな鬼ではありませんが――でも、ほら」

 ツノがあるでしょう、と額を指す鬼灯。
 確かに、そこには円錐型の突起がある。ずっと流行りの装飾品か何かだと思っていたが、よくよく見れば、上からつけているというよりは、額から生えてきているように見えなくもない。
 というよりも、明らかに生えている。
 額の皮膚と、ツノの硬質さが交じり合っている境がある。

「つの? ツノっ?」
「一本青鬼どん」
「おに!?」
「鬼です」

 初めて目にした鬼は、想像していたそれよりも、ずっと人間に近かった。

「え~。うわ~。尻尾は無いんですね。羽とかも」
「それ、多分悪魔ですね」

 あ、耳が尖ってる。そういえば、爪も犬歯も尖っていた。
 少し頭を動かせば接触しそうなほど近い距離でうろちょろと観察されても、鬼灯は無表情、無感動のまま微動だにしない。

「魔界に行けば悪魔もいますが、ここは地獄ですので」
「地獄――ではここは、鬼ヶ島!」
「鬼ヶ島は現世です」
「……げんせ?」
「はい。ここは地獄」
「ここはじごく」

 地獄と言えば、確かいじわるなおばあさんに舌を引っこ抜かれたり、背後からウサギに火をつけられたりするのだったか。それから、炎がいっぱいで、鬼もいっぱいで、釜で茹でられて、血を抜かれて、人が逃げ回っている、阿鼻叫喚の地獄絵図。

「――あら? え? 私、地獄におちたんですか?」

 先ほどまでの能天気はどこへやら、青ざめて後ずさろうとした佐為の襟首を、鬼灯が再度掴んだ。首が絞まった。

「ぎゅうっ」
「地獄で罰を受けるかどうかは、裁判で決まることです。罪がないとされた場合は、地獄へ行く必要はありません。もっとも、あなたの場合はその前に借金を返していただく必要がありますが」
「ぞうでずよ、ぞれで結局、どうじで借金だなんで話になるんでず?」

 まさか、死者が何も知らぬのを良いことに、暴利を受け取っているのではあるまいな。両手をあげて威嚇していると、ずっと後ろに控えていた小柄な鬼が前に進み出た。

「それに関しては、私、豌豆より報告させていただきます」

 手元の巻物を広げて、読み上げる。

「藤原佐為。長和ニ年没。秦広庁にて初江庁行きとされる。三途の川を特に問題なく渡り宋帝庁、五官庁での裁判を終え、閻魔庁へお連れした所、十五時三十分頃に昏睡開始。魂魄のうちの魄の消失に拠るものと思われる。その後一度も目覚める事無く、本日平成十三年五月五日、え~っと」
「十七時三十四分です」
「あ、ありがとうございます。十七時三十四分――うーんと……起、起床」

 詰まったのは、起床というよりは叩き起こされたに近いからだろう。叩き起こした当の本人は全く気にした様子も無いのに人の良い事だが、佐為はそういった機微に気づけるほど余裕のある状態ではなかった。

 ――千年、ここにずっと寝ていた……?

「以上が記録の抜粋となります。お支払いいただきたいのは、差し引き九八八年の間昏睡状態だった藤原さんの身体、魄の保管にかかった費用です。詳細はこちらの用紙に記載しておりますので、どうぞご確認ください」

 鬼灯の手から開放されたことさえ気づかないまま、乱れた襟をただすこともせず、手渡された巻物をぼんやりと受け取る。
 視線こそ書類に落とされていたが、内容は全く頭に入ってこなかった。

「記録映像も、必要ならばお見せできます」
「……ですけど、そしたら、ヒカルは? 虎次郎は? 基盤の中の、あの長い、永い時間は?」

 あの永劫のような苦しみ。孤独。後悔。
 あれが全て、夢だというのか?
 初めて虎次郎に見出された時の喜びも、その後の短くも楽しい囲碁三昧の日々も? 病が江戸を襲ったときの不安も、最後まで人のために生きた彼の人への複雑な想いも。
 ヒカルも? そう、虎次郎とはまったく違うけれど、最初はどうして彼なんかにとりついてしまったのかと拗ねもしたものだけれど。
 佐為の知らない世界を沢山見せてくれた、ヒカルのことも……?

「私は」

 そんなはずはない。
 だって、佐為は覚えている。全部、全部、覚えているのだ。

「私は、ずっと現世にいました。そりゃあ、幽霊で碁石に触れる事も出来なかったけれど、虎次郎やヒカルは!」

 思い出が降り積もる。
 共に見上げた夜空、二人分の杯、喧嘩したこと、悪戯したこと、笑いあったこと、すれ違ったこと、感謝したこと、最後の眼差し、黒と白の碁石が隠し持つ、宇宙の真理。

「彼らと共に打った碁はっ!」

 嵐のように舞い踊る。白、黒、白、指先、パチリとひびく、泣き顔、堪えて、交じる、花びら、転、点、天、

「あれは、あれは決して夢なんかではありませ、」
「だまらっしゃい」

 頬に金臭く硬い物がぐりぐりと押し当てられたが、この件に関しては負けられない。ぬううう、と押し返そうとしたところで、ぐりぐりと圧迫してくるその物体から、太くて鋭い刺がいくつも突き出ていることに気がついた。

「ぐぅ!?」
「あなた、癇癪持ちな上に短慮ですねぇ。もう少し人の意見に聞く耳を持ったほうが良いですよ」

 硬直した佐為の頬に尚もぐりぐりと金棒を押し付けながら、気が無さそうに説明する。

「別に、あなたの千年を否定などしていません。こちらと現世、両方に同時に存在していたというのが、我々の見解でもありますし」
「ぬぅぅ」

 よくわからない。佐為は一人である。
 二つの場所に同時に存在したのだと言われて、簡単にはいそうですか、とはいかない。

「魂の別称を魂魄といいますが、これは亡者が魂と魄の二つで構成されている事を表しています。つまり、魂とは本来、魂と魄の二つでワンセットなのですが、貴方の場合どう言うわけか、魂だけが現世へ向かい、魄はこちらに残ってしまったようなのです」
「むーぅ、う、う、う、う」

 単語毎に金棒をぐりぐりと押し込んでくる鬼灯。
 あと数ミリ斜めに傾けば刺が目に入りかねないのに、気もそぞろで話を聞いていないことに気がついたのか、更に力が強くなる。

「あなたが、死んだ後、身体と、魂は、別に、なりましたよね?」
「うぅ!うぅ!うぅ!」
「身体は、腐っても、魂は、残る。別々の、物体で、あるから、です。これと似たことが、あなたの魂、正確には、魂魄の間でも、起きたんです、よ!」

 突き放すようにして金棒が離れる。
 まったく、なんて暴力的なんだろう。人のことを短慮だとか癇癪持ちだとか言う前に、自分を見つめ直すべきなのでは。

「頭は、冷えましたか?」
「冷えました、冷えました! 何も不満なんて考えていないから、もうその金棒はしまってください! お話は、よく、わかりませんでしたが……」
「我々だってよくはわかりませんよ。こんな珍事、今まで例がありませんから」
「いえ、どちらかというと、話を聞ける状態ではなかったからなんですけど」
「おかげで当時はてんやわんやでした。まず魂魄が離れたことに気づくまでに随分時間がかかりましたし、判明したあとも、珍事すぎて法にも当てはめられず……。その上、魄の傷の治りが異様に遅い」
「傷?」

 傷って?
 さっと青ざめて身体を検分しはじめた佐為に、鬼灯が何も怖がる必要なんてありませんよ、とでも言いたげに手を顔の前で振った。

「床ずれですよ、床ずれ。最初はただ倒れているだけだと思ってとりあえず放っておいていたんですが、原因が分からないでいるうちに、いつの間にかお尻と背中に大きな穴が開いてて。いやー、骨まで見えてるもんだからびっくりですよ。寝かせていた椅子は真っ赤というか真っ黒に染まって、木が腐っちゃいましたし」
「ひぃ」
「刑場の木を使っていれば、うまく血を吸って強化していたかもしれないですけど、普通の木だったんですよねぇ。付喪神になろうにも、腐っちゃ無理ですし」

 名残惜しそうなのは気のせいだろうか。
 心なしか痛みを訴え始めたお尻と背中をかばいながら豌豆に擦り寄ると、彼は苦笑いで、こういう方なんです、と呟いた。諦めないでほしい。

「ひどいですよ、そんなことになるまで放っておくなんて」
「そんなこと言われても。普通なら倒れていたって適当にどこかに捨て置けば、死ねば勝手に生き返りますし、怪我しても時間がたてば治るんですよ。さっきの頬の腫れも、もうないでしょう?」
「腫れ? ……あれ?」

 言われてみれば確かに、痛みの程度に反して収まりが早い。先ほどまでは熱をもってヒリヒリしていた頬は、今は痛みの余韻が残るだけ。

「ちゃんとそれ以降は床ずれしないように時間を決めて、あなたの身体を動かしてもらっていましたよ。まぁ、私としては別に放っておけば良いんじゃないかというスタンスだったんですけどね。そうすれば経費は一切かかりませんし」
「ぎゃあ」
「ですが、閻魔大王が裁判を経ていないのに呵責をするのはよくないと」
「連続平手打ちは。首絞めは」

 豌豆の背後から、佐為が真面目な顔で問いかける。怯えている割に図太い。
 鬼灯は答えなかった。こちらの神経の図太さは、束になったワイヤー並である。象が乗っても曲がらない。

「こちらとしても、治療は勝手な行為だったかもしれないという負い目はありますので、そこを突かれると困るんですがね――ですけどあなた、体中を腐らせて死んでそのまま消滅した方が良かったですか? それならこちらも考えますが」

 こちらも考える、という言葉の中に、借金はチャラにする代わりに腐らせて殺す、ついでに刑場の木に血を吸わせるという意志が透けて見えた。
 背中と尻をしっかりと抑えて、佐為はぶんぶんと首を横に振る。

「では、借金については受け入れていただけたということで」
「えっ」
「そういうことでしょう?」
「えっ」

 納得してしまったということは、借金の支払い義務が己にあると認めたことと、同義なのだろうか……。
 先程は見ても目が滑るばかりであった巻物に、再度目を落とす。そこには黒々とした墨で大きく、返済金額十二億円と書かれていた。

 1,200,000,000

 想像もつかない金額が、重みを持ってのしかかる。佐為は金など一文も持っていないのに、いかにして支払うというのか。
 逃げ腰になった佐為に気づいた鬼灯の表情が明らかに「今からもう一度魂魄分離して、魄を放置したらどうなるか試してさしあげましょうか」と凄んでいる。そこまではまだ反駁する勇気もあったのだが、ふと怒気を収めた鬼灯が「それ(人体実験)ならそれ(人体実験)でも悪くはないですね……」と呟いたのには身の危険を感じた。
 十二億円の借金も怖いが、十二億円分の価値がある人体実験はもっと怖い。

「わ、わかりました、時間はかかるかもしれませんが、お返ししますぅ……!」
「その言葉が聞きたかったぁ!」

 佐為を殴るときでさえ常に表情を崩さず淡々としていた男が、急にくわっと口を大きく開けて叫んだ。一瞬の凍りつくような沈黙。
 佐為は思った。この人、叫ぶとき玩具みたいでちょっとおもしろい。

「では、これらの書類の確認と、サインを願います」

 先ほどのことなど無かったかのような無表情で渡された書類を受け取りながら、佐為は始終気配の薄かった豌豆に視線を向けた。

 ――鬼って、皆さんこういう感じなのですか?
 ――いいえ、この方は少し特殊です。

 口には出していなかったのに、なぜかバレて返済金額の丸を増やされた。


<< 戻 | 目次 | 進 >>

+


webclap

【ツノツノ一本青鬼どん】
 『み○なのうた』で放映された楽曲。色違いの鬼二匹が踊る中、7羽の芸達者なウサギの合いの手が入る。
 因みに、一番が「ヒュー」で、二番は「あぁん」。鬼灯で妄想するととても楽しい。

【ここは地獄】
 じーごじごじごくだよお。

【象が踏んでも】
 この筆箱の強さの秘密はポリカーボネートというプラスチック素材。
 盾や安全ゴーグル、コックピットのキャノピーなどにも使われている。王蟲の抜け殻もポリカーボネート製かもしれない。

【その言葉が聞きたかったぁ!】
 『BラックJャック』二巻「おばあちゃん」より。実際には「それを聞きたかった」



執筆2014/03/08
改稿2017/09/28